デミグラス総数

きしょいブログ

スマホゲームへののめり込み具合は生活の質の低下にそのまんま比例する。

最近遊戯王カードのスマホ版のゲームを見つけて、それをずっと飽きもせずやっている。

遊戯王カードは俺が小学校の頃にリリースされたトレカの一種だから世代ど真ん中で、元々は原作漫画のカードをそのまま再現してただけだったから戦略性もクソもあったもんじゃなくただ強いパワーのカードで力押しするだけの単調なカードゲームだった。

あれから20年以上経った遊戯王は相当ゲームバランスが調整されていて、パワーは弱いけど特定のカードを山札から場に出す効果を持ったカードを1手番内に次々使い、最終的にパワーも強く効果も強いカードを場に揃えて戦闘の主導権をお互いに取り合う凌ぎ合いが現代遊戯王の戦い方のようだ。それでも2手番で勝敗が決する事も多々あるのでゲームバランスが良いのか悪いのかよくわからない。

俺は現代遊戯王の強いカードの力を借りつつも、基本的に昔強いとされていたカード達で対人戦に臨んでいる。

パワーが高いけどデメリットがあるゴブリン突撃部隊とか、毎ターン相手に直接攻撃出来る上にパワーも上がる逆巻く炎の精霊とか、相手のカードパワーをそのまま利用する合気道みたいなカードとか、この辺を装備カードでパワー底上げして立ち向かう。

特に初手から逆巻く炎の精霊と特定の装備カードを自分の手札に引き入れた場合、相手がそれを防ぐ手立てが無ければ2手番で俺の勝利が決定する。

このカード未だにこんなに強いんだ、と妙に嬉しくなる。

でも基本的には現代カードの方が強烈なので、俺はほぼ防戦を強いられる。

古くてマイナーなカードを使って少しずつ場の流れを引き寄せて、辛抱強く反撃の機会を待つ。

一手でもミスれば即崩壊するような選択を毎手番させられる様子はトレーディングカードゲームというよりパズルゲームをしているような印象。この手に汗握るギリギリ加減が面白くてむさぼるようにスマホを開く。

特に相手が1手番に何枚もカードを費やして出て来たパワーカードを不能にしてやって昔のカードの単純な力押しで勝てた時ほど爽快な気分になる。ここまで書いていて老害の素質が俺にはあるような気がする。

ただでさえ風貌がオタク然としているのにこんな事してたらダメだと思う。サブカル文化芸能人に、俺はなるという夢があるのに。文化で食っていけたら一番良いのにさ。襟正してカードゲームオタク君に、なってんじゃあないよってさ。

人生における興奮とかときめきを、ゲームとか虚構の中にしか見いだせなくなってしまった人生ってもうおしまい(お死枚)だと思ってて、

だからゲームとか音楽鑑賞映画鑑賞趣味なのは結構趣味として下の方の部類なんじゃないかなと感じるんだけどその割にこの手の分野って展望台から下々を見下ろそうとする類が多いんで人間の脆弱さをその辺りから感じ取ってしまう。